熊崎閑田師略歴

 (くまざき  かんでん)

明治26年11月19日

熊崎忠太郎の長男として岐阜県益田郡萩原町に生まれる。


明治31年12月

臨済宗禅昌寺三木文敬の徒弟となり化導を受く。


明治34年4月8日

得度す。恩師文敬明治40年12月3日遷化す。


明治42年4月10日

伊深正眼寺に掛塔し無隠洞宗老師に鉗鎚を受けること2年。


明治44年4月

県立斐太中学に入学し、大正2年京都花園学院に転校したが、大正6年中途退学後、東京二松学舎に入学。


大正8年3月

二松学舎を卒業。


大正8年4月

東洋大学に入学し、大正12年4月卒業。


大正12年3月

井上哲次郎博士を助けて「東亜の光」編集に当たる。


大正12年4月

東洋大学卒業とともに三輪政一氏の推挙により上宮教会の主事となる。河瀬秀治氏、境野黄洋氏、加藤咄堂氏、高島米峰氏、柴田一能氏等の指導を受け、聖徳太子の遺訓を奉じて教化事業に専念する。


大正12年9月

関東大震災のため本郷壱岐坂の上宮教会会堂焼失したるも、これが復興に当たる。当時東京全市殆ど灰燼に帰したが、三輪政一氏に相談し、震災者救護のため東京府の依託事業として簡易宿泊所を建設し、これが経営に当たる。


昭和3年3月

御大典記念事業として日本宗教大会(神仏基)開催され、主事として活躍し、「日本宗教紀要」なる。


昭和4年4月

土屋詮教氏の協力を得て仏教年鑑社を創立し、昭和5年「仏教年鑑」創刊号を発刊、昭和13年度版まで発行す。


昭和9年3月

大内青巒居士の創立(明治28年)による仏教書肆鴻盟社を継承する。


昭和9年8月

臨済宗円覚寺派正安寺(横浜市戸塚区)住職となる。


昭和20年3月

戦災のため鴻盟社焼失し、曹洞宗宗務庁地下において業務を行う。


昭和38年1月

鴻盟社ビル(地上7階、地下1階)落成し、鴻盟社はこのビルの7階において業務を行う。


昭和43年10月

自坊正安寺の改築にかかり、昭和44年7月完成する。


昭和44年8月

鴻盟社ビルを社会福祉事業経営の資源に提供し、仏教主義の理念に基づいてこれを運営すべく決意し、財団法人熊崎報恩財団の設立を東京都に申請し、8月1日付けにて都知事の認可を受ける。初代理事長に就任する。


昭和44年12月

第一期の援助金贈呈式を8日(釈尊成道会)に開催し、以降毎年この日に贈呈式を行うこととする。


昭和49年4月

自坊正安寺に隠居。


昭和50年2月

病にたおれる。


昭和50年8月3日 

遷化81歳(再住円覚正安十五世閑田泰耕大和尚)


社会福祉を支援する

一般財団法人

熊崎報恩財団

KUMAZAKI HOUON ZAIDAN

一般財団法人 熊崎報恩財団

(いっぱんざいだんほうじん くまざきほうおんざいだん)

理事長永井 均

所在地〒105-0004 東京都港区新橋5丁目12番2号 鴻盟社ビル2階

電話・FAX:03-3431-7096